タンジュン・ピナンからボートで15分、緑で覆われた平たいペンエンガット島が見えて来ました。マレー系の水上集落というか、正確には、水上集落と陸上集落の融合した場所です。
タンジュン・ピナンの町からすれば、人口2200人の小島は、取るに足らない場所に見えますが、実は、ポルトガルの侵略で、マレー半島を追われたジョホールの王家が、16世紀初め、都を置いた由緒ある地。シンガポールが漁村だった時代、タイからインドネシアに至る交易の中心となり、18世紀後半には、オランダに対する抵抗運動の本拠地ともなりました。1819年、ラッフルズが、シンガポールを得たのも、このペンエンガット島の王子から。今のシンガポールとタンジュン・ピナンの繁栄の差を見ると、冗談のようですが。
島は、マレー文化の中枢で、印刷所を持つ島では、さまざまな本が出版され、この地のマレー語を元に生まれた、マレー語の最初の文法書と辞書もあります。当時の栄華は、宮殿やモスクとなって残り、整備中でした。
しかし、島の魅力は、そんな歴史的な部分より、むしろ、ふつうの暮らしの中にあります。水上集落といっても、センガランやカワルと比較すると、陸上の比重が大きいのが、ペンエンガット島の特徴。水上部分は、海に桟橋が突き出すカワルに対して、岸辺に沿う平行型で、控え目。陸地では、インターロッキングの道が、縦横に走り、樹々の間に、家がゆったりと立っています。
平らかな島の大らかさ故か、それとも、同じマレー系といっても、島の出自に王家が関わった故か、ふつうのインドネシア人のコミュニティーと比べても、小ぎれいで、のんびりとした場所です。何でもないと言えば何でもない、穏やかな居心地のよさがペンエンガット島の魅力でした。
挨拶をすると、皆、にこにこと挨拶を返し、手を振ります。人の明るさが映し出されたかのように、家も、カラフルに塗られ、多くが、きちんとメンテナンスされています。そういう集落は、多雨地帯では、結構、ありそうでないもの。道のゴミも少なく、島特有の輪タクも、ちょとした仕掛けとして、楽しさを演出。小さなことも、たくさん積み重なると、集落の印象を大きく変えます。雨で汚れたタンジュンピナンの港から来たから、いっそう輝いて見えました。
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もっと詳しく → ビンタン島の水上集落 - 3:ペンエンガット島(ビンタン島、インドネシア)
参考文献 / reference
Wikipedia
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