中国系コミュニティーの民度の高さと、それとは裏表の部外者への閉鎖性は、水上集落でも変わらないようです。中国系水上集落のセンガランに足を踏み入れたとき、集落というより、町に来たように感じました。
最初の驚きは、コンクリートの桟橋による道のネットワーク。パッと見には、ふつうの道路に見えますが、水中に打ち込んだコンクリートの柱脚が支える立派な桟橋。インフラをきちんと整備できることが、コミュニティーの力。
岸の入口からずっと歩き、別の入口から来た「道」とぶつかるあたりには、商店が固まっています。商店街がこんなところにあるなんてと感激するのは、水上集落に対する偏見?。建て込んだ一郭は、陸の小さな市場の辻に迷い込んだ気分。さらに、インターネットカフェを発見。水上集落に!です。コンピューターゲームに熱中している子供がいるのは、陸も水の上も同じでした。
「道」の途中には、屋根付きのコモンテラス。何組かの老人が麻雀をしているのが、イカすコミュニティー風景に見えたので、遠くからパチリ、そして、近付いて、パチリとしようとしたその時、中の一人が形相を変えて、両腕で大きく「×」と、ジェスチャーしました。他所者に対する不快感と拒否感で一杯の目でした。そう、この老人に限らず、皆、眼差しが冷たいのです。すれ違う人に挨拶しても、無視か、冷たい会釈。勝手に入って行った自分に非があるのは明らかですが、インドネシア系やマレー系の水上集落と比べると違いを感じます。
そこには、移民であること、陸ではない水上に住むこと、インドネシアに翻弄された中国系住民の歴史などが、ないまぜになり、そして、何よりも、中国系であることの誇りがあるに違いありません。彼らの住居は、タンジュン・ピナンの下町の中国人街と同じように、軒近くに、日本のうだつに似たカーブ状の板を出しています。センガランに彼らが来たのは、1740年頃。中国人の海外移民のもっとも早い例の一つらしいですが、それだけの時間を経てもなお、彼らの出自、中国南部の住居形式を受け継いでいることに、誇りが伺えます。
そして、水上集落入口の岸辺には、道教寺院が立ち、線香が耐えません。それもまた、自分たちの由緒を正統化する大事な証。
道、商店街、インタネットカフェ、共有テラス、道教寺院、そして、刺すような視線。センガランは、水上集落が、中国系コミュニティーの手に掛かると、都市的な集落になるという興味深い場所。
同じ地域の水上集落でも、暮らす人の意識や民族性の違いで、コミュニティーの空気にも景色にも、差が生まれます。3つの異なる民族の水上集落を訪ねて、コミュニティーのキーワードが人ということを実感しました。
もっと詳しく → ビンタン島の水上集落 - 2:センガラン(ビンタン島、インドネシア)
参考文献
Wikipedia
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