ビンタン島を訪れた目的は、ケロンを見ること。きっかけは、インターネットで見つけた一枚の写真。興味を感じて、ネットやガイドブックで探したものの、情報はほとんど手に入らず、ただ、写真がビンタン島で撮影されたことを頼りにやって来ました。出会えるかという不安は杞憂で、東海岸に出たら、意外と簡単に見つかりました。
ケロンとは、何ぞや。
それは、沖合に停泊し、魚を穫る施設。昔は、マレー半島からインドネシア沿岸まで広く分布していたそうです。
浮きの上に、近くの森から切り出した木材で骨組をつくります。大抵は、3スパン、大きなものでは、5スパンほどでしょうか。真ん中には、板を張ってデッキをつくり、椰子の葉で葺いた小さな小屋が載ります。四周は、骨組から漁網を垂らし、魚を保管する生け簀として、利用します。漁師が自分たちでつくり、完成まで、2週間ぐらいという、ほんとうに単純な建築です。
このキャタピラーのようなユーモアな姿で、カタカタと海上を走る様を、イメージしていましたが、駆動装置はなく、ボートで曳航します。
漁師は、ボートでケロンに行き、5日間、漁をした後、収穫を携えて、陸に戻るパターンを繰り返します。漁は夜。灯りで魚をおびき寄せて穫ります。浜から見ると、夜半、漁り火が、水平線に点々と続いていました。
昼間は、小さな屋根の下で休むのでしょうが、小屋は、2、3人寝転べば一杯の大きさに、中腰で、頭がぶつかるぐらいの高さ、その上、回りのデッキも数歩の距離です。一晩ならともかく、5日間、この小さなスペースで夜を待つのは、フラストレーションがたまりそうですが、そういう発想自体が、都会的なのかもしれません。彼らにとっては、作業に必要な最小限のスペースで生きること自体が、きっと、ずっと続いて来た無理のないスタイルなのです。
満月には、明るいため魚はあつまらず、雨季には、雨水で海の水が薄まるため魚が深く潜行して穫れない、という話に、機械や底引き網漁に頼らず、自然の摂理を尊重して暮らす、彼らのリズムが見えます。ケロンとは、そんな風に、人と自然が長い間維持して来た、無理のない関係を映し出した装置でした。
早朝、港に、曳航されて、ケロンが戻って来ました。仲買人が現れ、ざる単位で、収穫を買い上げて行きます。食べてみろ、と差し出されたのは、穫れ立てのカタクチイワシと小さなイカ。ピチピチした鮮度の上に、適度に潮が染みて、うまい!。もう少し、もう少しと何度も、お代わりしていました。
参考文献
Wikipedia
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