シンガポールから船で1時間、ビンタン島と言えば、リゾートが人気ですが、そこは、島の北海岸にある現地住民立入禁止区域。内外のガイドブックが紹介するのは、リゾートがほとんどですが、残り大半にも、抜け落ちているのが不思議なぐらい見所があります。ただし、ちょっと通好み。
島いちばんの町タンジュン・ピナンは、人口20万。拡大する人口に、海沿いの平地だけでは追い付かず、回りの丘が開発されたのではないかと思えるぐらい、上り下りの相当激しい地形。
斜面には、時々、両側通行可能な道が走り、その上下を細い街路が結びます。階段が少なく、かなりの高低差でも、坂が結ぶのは、何とかすれば、小型車やバイクで乗り付けられるという生活の知恵でしょうか。
第3世界の斜面住宅地=スラムを想像していましたが、実際は、日本人の感覚からすれば、良好な中産階級の住宅地。きちんとつくられ、手入れのされた庭のある家の多いことも、住宅地の質に貢献しています。丘の上り口には、大きな園芸ショップがあったから、ガーデニングを楽しむ余裕のある層が、かなり育っているようです。でも、いちばんの魅力は、穏やかな空気。窓に格子をはめた家があまりないのは、犯罪が少なく、コミュニティーがきちんとしている印。住民も、他所者に警戒心を見せず、威嚇もせず、あくまでも優しげ。道や軒先のベンチには人が集まり、路上では、子供が元気にサッカー、町は温かい気配に満ちています。子供の頃の日本の住宅地の風景を思い出しました。インドネシア社会は、思ったより底堅いようでした。
そんなタンジュン・ピナンの街を探索していたときのこと。港近くの下町の一郭に入ると、突然、街並の雰囲気が変わりました。違う時間に迷い込んだ感じです。陸から海に切り替わるあたりで、建て込んだ建物の間から、ゴミだらけのぬかるみに立つ杭が、時々見えます。
ほとんどが木造2階建てで、軒の両端に取り付けられた、うだつのような袖壁が、街並の違いを決定しています。外壁は、トタンやアルミ板もありますが、古ぼけた家の多くは、横張りの板壁に板張りの棧戸という組合せ。そして、店番をする人の顔。中国系移民の居住地でした。
都市化の波にあらがうように、この一郭だけ、祖先の出身地、中国南部の住居を、今も踏襲していますが、海外のチャイナタウンで見掛ける、近代建築に中国様式の装飾が融合した、洗練されたタウンハウスへの発展もありません。
地盤のため建て替えしにくい現実的理由もあるでしょうが、過去に、過酷な中国人排斥運動が何度も繰り返されたインドネシアで、財力も乏しく、外からの圧力に対して脆い集団が、結束し、大都市の一郭にしがみつく拠り所として、アイデンティティーであるこの古い建築形式を生き残らせ、建築が、彼らを守る砦になっているように見えました。
古い形式が残るとは、さまざまな意味で疎外された場合がほとんど。寛容で穏やかに見えるタンジュン・ピナンのインドネシア人社会の中で、複雑な背景を持つ中国人コミュニティーが、自分たちの形式から自由になれる未来は、近いのだろうか。
丘の上の住宅街
港周辺の下町の商業地区
中国人街
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もっと詳しく → タンジュン・ピナンのランドスケープ(ビンタン島、インドネシア)
もっと詳しく → タンジュン・ピナンの中国人街(ビンタン島、インドネシア)
参考文献
Wikipedia
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